幸せな女性になるために  ヘルムート・バルツ著『青髭(あおひげ) 愛する女性(ひと)を殺すとは?』新曜社、1992年

 (1)女性が幸せになるために

 あなたは女性として幸せですか?

 女性がもっと幸せを感じられるようになるために、私がおすすめするのが、これから紹介する、ヘルムート・バルツ著青髭 愛する女性(ひと)を殺すとは?』です。現在も多くの女性が夫のDV(ドメスティックバイオレンス)に苦しむ現実があります。また、たとえ、暴力を受けるところまでいかなくとも、多くの女性が、家族のように近しい関係にある男性がもつ冷たさに、心が打ち砕かれることはあるのです。ですから、この本に書かれていることは、多くの女性たちにとって無関係ではありません。

 『青髭 愛する女性(ひと)を殺すとは?』に書かれていることで、多くの女性が幸せになるために必要なことは、次の4つの点にまとめることができます。

   1.  まず、女性が男性心理の負の側面を知ること

 2. 次に、女性の内面にも、男性性の負の側面が潜んでいることを自覚すること

 3. さらに、女性自身が、健全な女性性とはどういうものかを考察し、その内容を皆と共有すること

   4. 最後に、女性が、男性を打ち負かすのではなく、男性と一緒に男性性の負の側面に向き合うこと

 (2)普遍的な男性心理

 グリム童話の『青髭』って、ご存知ですか? 童話のあらすじは、妻が冷酷で残忍な夫(青髭)から殺されそうになり、実の兄達に助けを求めて、最後に命からがら助かるというものです。

 『青髭』に出てくる夫の青い髭は、冷酷で残忍な心理を象徴したものです。この男(青髭)の冷酷・残忍な心理は、普遍的な男性の深層心理の一面を表現したものだそうです。しかし、著者は、男性を一方的に非難するわけではありません。著者が目指すところは、男性と女性が向き合い、お互いが幸せになることです。

 著者バルツは、童話『青髭』をユング心理学の手法で読み解き、男性の深層心理に、女性を支配し抑圧する負の側面が潜むことを明らかにしています。それと同時に、女性が、男性支配の構造から逃れ、真に幸せになるためには、女性自身が、自らの心にある男性性に目を向け、抑圧されてきた女性性を肯定することの意義が説かれています。また、女性が、自らの女性性を肯定していくことは、女性の幸せだけでなく、男性をも救済することにつながると書かれています。 

 

(3)男性心理の負の側面

 男性は、なぜ女性に対して、冷酷・残忍なのでしょうか? 著者によれば、それは、男性が自身の内に女性性があることを認めるのを恐れるからだということです。男性は、自らのうちに女性性があることを認め難く感じている場合、女性を蔑視することによって、男性自身から女性性を切り離そうとし、結果的に女性に対して冷酷・残忍になるのだそうです。しかし、男性は一方では女性に対して冷酷・残忍でありながら、他方では、そうした冷酷・残忍さを女性から許され、愛してもらいたいという願望をもった、やっかいな心理の持ち主だということが書かれています。男性は、一方で冷酷さを女性に突き付けながら、他方で女性に救済を求める弱さをもちます。男性は、一方では、男性である自分から女性性を切り離そうとし、他方でそのような冷酷な自己から救済されるために女性性を必要とするというように、分裂した心理状態にあって苦しんでいるというのです。

 

(4)女性の内面にもある男性性

 また、著者は、『青髭』の物語は、男性の普遍的な心理であるばかりでなく、女性の心理にも男性性が植え付けられていることを反映していると指摘します。

 著者によると、娘がいる家庭で、母親の女性性が弱い状態では、娘の女性性も十分に育たないといいます。母親が個性をもたず世話人でしかない家庭にあって、娘が父や兄から男性優位の価値観を押し付けられて育つ場合、彼女は少女ではなく少年になるように育てられることになります。そのような環境に育った少女は、女性性を抑圧し、男性的な価値観を実現することを自らに課すようになります。少女の内面に育った男性性が強すぎることで、彼女は、自らの女性性を破壊してしまうのです。

 なお、本書を敷衍すれば、女性が成長過程で女性性を十分発達させられずに育つことは、女性のみならず男性にとっても不幸につながります。女性の内に、強い男性性しか育まれず、十分な女性性が生育しない場合、男性は、女性から許され得ず、救済され得ないことを意味するからです。女性からの救いの道が絶たれる男性は、女性に対する自らの男性としての冷酷さと、女性からの救いを求める弱さとの間で分裂状態に苦しみ続けるのです。

 

(5)男性性の健全な側面

 ただし、筆者によれば、男性性には、冷酷・残忍な側面のほかに、健全な側面があるようです。娘が育つ過程で父や兄といった男性の世界から与えられる男性性は、健全な愛情による部分も含まれています。そうした健全な愛情によって女性の内面に育まれた男性性は、女性が恐ろしい殺人的な男の支配から逃れる際に役立ち、女性にとっての救いになるとのことです。

 健全な男性性とは、どのようなものでしょうか。本書では、それは「軽妙さ」という言葉に要約されています。「軽妙さ」は、「狡猾、冗談、皮肉、自分を皮肉ること、機知、構えない態度、ブラックユーモア」とも言い換えられます。

 

(6)望ましい女性解放のありかたとは

 筆者バルツは、女性解放論者(フェミニスト)をはじめとして、女性が女性解放のために父権制に立ち向かうことに関して、一定の方向性を示しています。筆者は、父権制を暴力的に排除して、純粋に母権制を実現することは望ましくないと言います。純粋な母権制は、父権制からの行き過ぎた反動を招きかねないし、有益でもないからです。筆者は、父権制を完全に排除しようとするのではなく、母権制と両立させ、ちょうど接ぎ木のような手法で、双方の長所を得るのがよいと考えているようです。

 では、女性は、どうやって、男性性のもつ冷酷・残忍な負の側面と戦うのでしょうか?筆者バルツは、女性自身が、自らの内をみつめ、自己の内にある青髭性と戦うことだといいます。女性が冷静に自己を観察し、青髭と自己を区別するならば、絶対的な力をもつかに見えた青髭が、ぐらつくのだと言います。

 筆者バルツの考えでは、望ましい女性解放とは、まず、女性が自らの内にある健全な男性性(童話の中で女主人公を助けた兄たちに象徴される)の力を借りて、冷酷・残忍な男性性の負の側面(青髭性)に立ち向かい、父権制の支配から脱出することだというわけです。さらに、女性が、外から押し付けられた父権制のせいで、自らの内に青髭性が内在化してしまったことにも気づくことが大切だとしています。そして、女性が自らの内面に植え付けられた青髭性との戦いについて、公開の場で考察することだというのです。

 

(7)女性の内面における健全な男性的精神の育成

 女性が、女性性を発達させる前に必要なこととして、筆者が挙げることは、まず女性たちが女性(母親)の影響をつうじて、女性の内面に生まれつき備わる男性的側面を、健全な方向に発達させることです。もともと少女に備わっている男性的側面は、母性の庇護の下に育まれると、女性的価値を含んだ男性的な諸力となります。それらの男性的な力は、男性における意識的な男性性(分離・計算・数を数える・計画・製作)とは別のものになると筆者は言います。女性的な価値を含んだ男性的諸力とは、具体的には、結合・統合・包み込む・創造的変容の能力(少女にももともと備わっている行動意欲は、母親の庇護下では男性的な攻撃となることがない)・自然な成長・察知・予感・直観・知恵(単なる識別力だけではない)とのことです。

 しかし、少女が育つ際に、母親の影響が弱く、父権制優位の世界にあって、父や兄の手本が押し付けられる場合、少女はまるで自分が男性であるかのように、自らの女性的な可能性を殺してしまいます。童話の中で殺される女性は、実は、強力に発達しすぎた自分の男性性の犠牲になった、女主人公の女性的可能性なのだ、と筆者は言います。少女が男性的性質を発達させるにあたって、母親由来の女性的方法によるのでなければ、少女にとって望ましくないのです。

 

(8)女性性の再評価 救済を望む男性と向き合うこと

 ただし、筆者バルツは、女性が、男性性の健全な側面に力を得て、男性性の負の面を打ち負かすことは、最初の段階にすぎないと考えています。次の段階として、女性は、自分以外の多くの女性を見て、女性性の価値を見出すべきだというわけです。そのようにして、女性としての強さを十分に蓄えたならば、今度青髭性をもった男性に遭遇したとしても、その男性に対して、単に彼の青髭性を否定するのとは違った対処ができるようになっているというのです。それは、その男性がもつ、青髭性を容赦なく殺すことではなく、その男性と一緒に、青髭性に向き合うという仕方になるようです。